三種さんしゅ神器じんぎをめぐる争奪戦

「宝鏡八咫鏡やたのかがみ」「宝剣草薙剣くさなぎのつるぎ」「神爾八坂瓊勾玉しんじやさかにのまがたま」の3つを三種の神器といい、由来は古く神話の時代にさかのぼります。天皇のシンボルであり、皇位継承に重要な意味を持つ御物です。平安時代は内裏が度々火災に見舞われ、宝鏡はかなり破損してしまったと伝えられ、源平の争乱が始まると、神器は天皇の正統性を証明するものとして争奪の対象となっていきました。ついに平氏が安徳天皇と都落ちするときにこれを持ち去り、神器は天皇とともに壇ノ浦に没するという事件がおきました。宝鏡と神爾は探し出されましたが、宝剣は失われました。以来伊勢神宮の剣がこれに替わり、現在に至っています。1336年(延元1・建武3)、後醍醐天皇が京を脱出する折に、またもや三種の神器が持ち出されました。北朝の光明天皇の即位は神器なしで行われましたが、これはかつて平氏に神器を持ち去られた時の後鳥羽天皇の即位にならったものでした。しかし天皇を正統づけするためにはやはり神器は必要なものでした。後に後醍醐天皇が比叡山を下りたときに北朝方が奪い返しますが、この神器は偽物だったと伝えられています。